ここみらいの
はじまり

高二のころ、僕は怠惰を極めた。

当然、学校の授業についていけなくなった。
このままではいけないと、某映像授業予備校に通い始めた。

その予備校を選んだのは、
「合格実績がすごい」
「CMに出ている講師たちがカリスマっぽい」
という理由からだった。「今でしょ」と思った。

今となっては安易な選び方だが、両親は僕の選択を尊重してくれた。
「お前が通いたいと言うなら、お金はなんとかする」そう言ってくれた。

高すぎる費用と罪悪感
予備校の費用は僕と両親の想像を超えるものとなった。

社員の軽快なトークに乗せられ、さまざまな講座をとった。
講座を取らないと、受験に失敗するかのような錯覚をしたのを覚えている。

講座は、一つで8万円した。
それを何個も取っていく。その他さまざまな費用がかかった。

それは、決して裕福ではない僕の家に重くのしかかった。
負担してくれた両親に対して深く感謝すると同時に、大きな罪悪感を抱えることとなった。

違和感
そうして大金をはたいて買った映像授業を、毎日パソコンの前に座って観ていた。

しかし、なんとも納得しきれない気持ちがあった。
「一度撮った映像を何年も使い回していて、それを観るのに8万円は高すぎないか?」

もう一つ疑念が浮かんだ。
「微妙な授業もけっこうあるし、量が多すぎて受け切れない…しかも思ったより成績が伸びないぞ…」

僕が通っていた高校は偏差値が74あり、東大生もたくさん出る。

そんな高校の生徒が同じ塾に20人ほど在籍していたが、
フタを開けてみれば第一志望に受かったのはそのうち3人だけだった。
僕も含めて残りは全員落ちていた。
東大京大はおろか、一橋や東工大、阪大なども出なかった。

「あのものすごい合格実績はなんだったんだ?」

違和感の正体
その謎が解けるのは、河合塾に通う成績優秀な友人の話を聞いた時だった。

なんと彼は、その高成績によって僕が通っていた予備校の特待生となり、あらゆるサービスを無料で受けていたのだ。
僕らには選択肢すらなかった、超有名講師のライブ授業なども受けていた。

そんな人が、たくさんいるのだという。

僕は愕然とした。

僕らの親が出してくれた高額な授業料は、特待生の穴埋めに消えていたのだ。

そう気づいた時、僕は言いようもなく不愉快な気持ちになった。

怒りと始まり
大人はセコいと思った。
心の底から騙されたと思った。

不安を煽って、消化しきれない量の講座を取らせることも、
微妙な授業もセールストークで売りつけ、中身も分からないまま大金を払わせることも、
特待生を含めた合格実績を宣伝して、自分たちのような金づるを集めていたことも、

本当にフェアじゃない。

情けなさ、怒り、罪悪感…
それらが僕の中で混ざり合い、渦となり、次第にこんな気持ちになっていった。

「アレに大金を払う価値なんてなかった」

「今でも、あの授業に大金を払っている家庭が全国にたくさんある」

「そもそも勉強したいだけなのに、こんなに金がかかる世の中はどうかしてる」

「俺がもっと質のいいものを格安で提供して、受験生と親の負担を減らしてやる」

こうして、誰でも無料でアクセスできるYouTubeで授業を投稿することを決めた。

その後のここみらい