勉強法

語呂で単語を覚えるな

シュンスケ

どうもこんにちは、ここみらいチャンネルのシュンスケです。
今回は、過去の自分に向けて「語呂で単語を覚えるな」という話をします。

僕は受験生のころ、古文単語を語呂で覚えるというコンセプトの単語帳を使っていました。
今思うと、あれはものすごい間違いだったし、時間がもったいなかったです。
(名前は一応伏せます)

もしあの語呂で単語を覚えるヤツを使っている人がいたら、やめてもらいたいです。
その理由をお話します。

極限まで浅い理解しかできない

これが最大の理由です。

古文単語は決して、現代語と一対一で意味が決まっているわけではありません。
一つの単語にはいろんな意味があります。
そしてそこには当時の人々の思考の枠組みや文化が反映されていて、とても微妙なニュアンスを含んだものなんです。

単純に現代語に押し込めても、正しい理解は得られません。

その単語がどういう意味を孕んでいるのかを丁寧に理解していくべきで、そうすることで深い語彙が身につくのです。

これは英単語で考えた方がわかりやすいかもしれません。
日本人とアメリカ人では文化・思考の枠組みが違うので、日本語と英語は一対一対応になっていません。

例えば「finger」は「指」と同じではありません。
fingerは親指を含みません。
また、fingerには足の指も含まれません。
fingerは手の人差し指、中指、薬指、小指のことを指しているんですね。
単純にfinger=指と考えていてはズレが生じるのです。
oxygen=酸素のように学術的なもの以外は、完璧に対応しているということはあり得ません。

こんな状況なので単語を雑に一対一で覚えると、単語の理解が浅いために結局文章を読めない、ということになってしまいます。

僕はそのことをわかっていませんでした。
語呂で単語を覚えるという浅はかな勉強法を選んでしまい、結局文章に出てくる単語の意味が分からず、適当に読んでいました。

悔やまれます。

取り出すのに時間がかかる

これも問題です。
ゴロを介しているため、日本語の意味を出すために時間がかかります。

それでは素早く文章を読むことができません。
いちいち「えーっと、なんの語呂だっけ」とか言ってたら時間切れになります。

国語の試験の時間は割とシビアです。
古典はさっさと終わらせて現代文に使いたいのに、その場で語呂なんて思い出していたらやってられません。

単語のイメージを理解することでわざわざ日本語を介すこともなくスラスラ読めるようになるのが理想なのに、語呂と対応させるだけでは、その状態にたどり着くことは一生ありません。
少しでもそういう単語があればまた変わっていたのでしょうが、その意識も希薄だったので、全部語呂で覚えてしまっていました。

結局あんまり単語の意味を思い出す時間もなく、適当に読んでいました。

無駄に多い

なんでなのかは全く分からないですが、たしか単語が565個くらい載っていた気がします。

これ、多すぎると思います。
そんなに要りません。

ほとんどの単語は受験を終えるまで一回も出会いませんでした。

もちろん、覚えるに越したことはないのですが、めちゃくちゃ浅い語彙を大量に覚えても結局戦えません。

それよりはよく出てくる100くらいの単語を深く理解したほうがよっぽどマシだったと思います。

500個を深く理解するのが一番いいけど、受験生にはそんな時間はありません。
ということで、100個くらいを深く深く理解して、さらに100個くらいをそこそこ理解する、くらいが一番コスパいいんじゃないかと思います。(数字には大した根拠はありません)

なぜ生き残っているのか

こんなひどい単語帳ですが、今でもものすごく売れているみたいです。
正直、日本の古典教育の害とさえ思いますが、なんでこんなことになっているのでしょうか。

ここからは憶測になりますが…

理由は多分いくつかあります。

検討するのがめんどくさい

古典の勉強なんて、大体の人はめんどくさいと思っていて、参考書選びにあまり時間をかけたくありません。
しかも勉強法もよく分からないし、もうなんでもいいからなんとかしてくれと思っています。

その結果、すでに売れているキャッチーな単語帳が目に入って、適当に買って、そのまま使っているのではないかと思います。
それか、楽をしたいという感情がものすごく働いて、一番楽そうなやつに安易に飛びついているのではないでしょうか。

ダメなことに気が付くほど古文を頑張っていない

めちゃくちゃ古文を頑張っていれば「あれ、この勉強法ダメなんじゃね?」と気が付くことができるかもしれませんが、受験生の頭は英語や数学などの他の科目でいっぱいなのであんまりがんばりません。

例え点数が伸びなくても古文にそんなにエネルギーを注ぎたくないし、
先輩とかが
「古文は直前でなんとかなるよ!俺も直前しかやってないけど満点だった」
とか言ってくるから
「まあいいや!後回しで」
ってなっているような気がします。

これではダメなことに気が付くことなんてできません。

結果がうやむやになっている

古文というのは、多くの人にとってはもはや運ゲーになっている気がします。
完成度が低い状態で突っ込んできて、ほぼ運で点数が決まっている人も結構いるはずです。
言っていることがよく分からなくても、問題数が多いわけではないのでたまにものすごい高得点がでたりします。

こうなってくると、もはや高得点を取れた理由もあやふやになります。
英語や数学なら「俺はこの勉強法で頑張ったからうまくいったんだ!!」ってなると思うんですけど、古文はよく分からないまま終わっていきます。

しかも、古文の点数をものすごく話題にする人はいません。
「俺はこの単語帳を使っていたからダメだった!!畜生!!」
みたいに大騒ぎする人もいません。
みんな英語や数学の結果の方で大騒ぎしています。

結果的にどの参考書がよかったのか、という知見はあまり溜まらずに次世代に切り替わってしまうのではないか…これは恐ろしい…

そんな想像でした。

まとめ

色々と失礼しました。

とりあえず、語呂で単語を覚えるのはやめましょう。

勉強頑張ってください!!