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ギリシア思想③〜ソクラテス〜

ソクラテス基本情報

wikipediaより引用

紀元前469年頃〜前399年。
古代ギリシアのアテネの哲学者で、倫理学の創始者とされています。

背景 〜衆愚政治とソフィスト〜

アテネ(ソクラテスがいた国)は戦争に敗れたことで混乱状態になり、衆愚政治に陥っていました。

衆愚政治とは、無知な大衆によって支配されてしまった政治のことです。

この無知な大衆を自分の利益のために扇動して衆愚政治を加速させたのがソフィストで、これに対抗したのがソクラテスです。

デルフォイの神託

デルフォイは山の麓にある聖地で、神殿にいる巫女が神のお告げを伝えてくれると有名でした。

ある日、ソクラテスの友人が巫女に「ソクラテスよりも知恵のあるものはいるか」と尋ねたところ「ソクラテスより知恵のあるものはいない」と神託を受けました。

その後、友人がソクラテスにそのことを伝えると、ソクラテスは「そんなはずはない。私は善についても美についても何もわかっていない」と困惑してしまいました。

無知の知

ソクラテスはその神託の意味を確かめるため、世間で賢いと言われている人たちと対話を試みていきます。

そしてたくさんの対話を経て、ソクラテスは「この人たちは知らないことを知っているつもりになっているだけだ」ということに気がつきました。


そこで神託は「自分が無知であることを自覚している(無知の知)分、ソクラテスはマシである」という意味だったことを悟ります。

知っているつもりになってしまうと、そこから先の真理を追い求めることをやめてしまいます。

だからそこからソクラテスは自分を賢者だと思っている人に無知の知を気づかせることを目的としてたくさんの人と会うようになりました。


決してソクラテスはマウントを取ろうとした訳ではなく、「真理についてもっと考えようよ!」と呼びかけようとしたのです。

問答法

ソクラテスが無知の知に気づかせるためにとった手法が問答法で、質問攻めをしてボロを出したところを突くやり方です。

ソクラテスは賢者とされている人のところに赴いて、馬鹿なふりをして質問攻めを繰り返しました。
何度も質問をして深掘りをしていると、いずれどこかで矛盾が出てきます。
そこを「あれ、先ほどこういっていましたよね、どういうことですか?」とまた問いかけます。
すると相手は段々と説明できなくなって、自分が無知だったことに気がつくのです。

ソクラテスは何かを主張している訳ではないので、負けるはずがありません。
最強の論破術です。

このやり方は無知を初めから突きつけるのではなく自分が無知であることの気づきを促すものなので、助産術産婆術とも呼ばれています。

魂への配慮

ソクラテスは「大切なのはただ生きるのではなく、善く生きることである」という言葉を残しています。善く生きるためには、「魂への配慮」が大切です。

ソクラテスは我々の本体は、肉体でも地位でも財産でもなく、魂(プシュケー)であると考えていました。

そして魂への配慮をする、つまり魂をできるだけ優れたものにするように努力することによって、真に人は徳(アレテー)を身に着けることができます。

徳(アレテー)とは卓越性という意味であり、例えばナイフの徳(アレテー)はよく切れることです。

魂への配慮によって、人は徳(アレテー)を身に着けることができます。

知徳合一・知行合一・福徳一致

ソクラテスは、徳についての正しい知識を持てば、誰でも正しい生き方をすることができると考えました。(知徳合一・知行合一

私たちは、自分なりに何が善であるのかを探しています。

しかし、時には悪いこともしてしまいます。

ソクラテスによれば私たちが悪いことをするのは、私たちが何が善であるのかを知らないからなのです。

そして徳についての知識を持って正しく生きれば、そこには真の幸福があるといいました。(福徳一致

ソクラテスの死

ある日ソクラテスは、国家の神々を認めず、青年たちに悪影響を与えるという理由で訴えられてしまいました。

しかし、ソクラテスは裁判でもポリスの堕落を批判し続けたため、死刑判決を受けました。

ソクラテスの友人たちは処刑日までに脱獄することをすすめましたが、ソクラテスは「ポリスの掟を守るのが市民の義務だ」といい、自ら毒杯をあおいで死んでしまいました。

ソクラテスの死については、弟子プラトンの著書「ソクラテスの弁明」のなかで書かれています。

Wikipedia より引用