アリストテレス基本情報
紀元前384〜前322年。プラトンの弟子。哲学者。
代々医者の家系のもとに生まれたアリストテレスは、プラトンが設立したアカデメイアに入学します。
彼はそこで比類なき優れた成績を残し、プラトンの弟子となります。
アカデメイアを卒業したあとは哲学者として活躍しました。
また、アカデメイアに続いてリュケイオンという学校をつくりました。
そんなアリストテレスは、ソクラテス、プラトンに次ぐ偉大な哲学者として語られています。
彼は「万学の祖」とも呼ばれ、天文学、生物学、論理学など文理問わずさまざまな学問の基礎を築きました。
アリストテレスはプラトンの弟子でしたが、アカデメイアの卒業後はプラトンと真逆の思想を研究していたんです。
次項ではイデア論に対立する「エイドス論」について話します!
エイドス論
アリストテレスはプラトンの弟子でしたが、なんとプラトンの思想と対立してしまいます。
プラトンは、「物事の本質はイデア界にある」と言ってましたね。
しかし、アリストテレスは「物事の本質は現実の世界にある」と説きました。
目の前にある鉛筆、ノート、机……すべて一つ一つに本質が宿っているのです。
アリストテレスは、物事の本質をエイドス(形相)と呼びました。
プラトンの思想を理想主義、アリストテレスの思想を現実主義といいます。
さらに、アリストテレスはエイドスに加えてヒュレー(質料)という考え方も用いました。
すべてのものにはエイドスとヒュレーがあります。
例えば、ここに木の机があるとします。
この机のエイドスは「四角いものに四つの足をつけたもの」、ヒュレーは「木」となります。
また、ここに布製のバッグがあるとします。
このバッグのエイドスは「取っ手がついている袋」で、ヒュレーは「布」となります。
しかし、革製のバッグはどうでしょう。
この場合もエイドスは変わらず、「取っ手がついている袋」となり、ヒュレーは「革」となります。
さらにこのエイドス論を応用させて、アリストテレスはあることを考えました。
「すべてのものは、何かを目的として進化しているのではないか。」
例えば、ここに木があるとします。
この木をいい感じに切って整えれば、机になります。
つまり、この木は机になるという目的をもって進化しています。
この進化する前の木の状態を可能態(ディナミス)、進化した後の机の状態を現実態(エネルゲイア)といいます。
この場合の可能態は、「机に進化すると言う可能性をもっている」という感じです。
このような進化はこの例にとどまりません。
例えば、木は種子から進化しています。
机はDIYすれば本棚になります。
進化は永遠に続いているのです。

…と思った矢先、アリストテレスはあることに気がつきました。
「何度も進化を続けていくと、あるところで止まってしまう。」
アリストテレスは、この進化が続いた最終地点には神がいると述べました。
つまり、すべてのものの目的は神に行き着くということになります。

徳
プラトンは、人間の魂を3つに分けて、それぞれが徳を身につけられれば「正義の徳」が生まれるという思想でしたね。
それに見習って、アリストテレスも徳について考えてみました。
するとアリストテレスは、人間は理性と感情を使い分けて行動していることに気がつきます。
「この2つの部分に徳は存在しているのではないか?」
そう考えたアリストテレスは、理性の部分にある徳を知性的徳、感情の部分にある徳を倫理的徳と呼びました。
知性的徳は、たくさん勉強して知識を増やすことで身につきます。
あの振り子はなぜ止まらないんだろう。
なんで空は水色なんだろう。
このように、勉強で得られた知識によって、さまざまな思考を巡らせることができます。
このことをテオリア(観想)といいます。
ちなみにテオリアはtheory(理論)の語源となっています。
さらに、知識を活かしていまの行動が正しかったかを判断することをフロネーシス(思慮)といいます。
例えば、目の前を歩いている人がタバコに吸い殻をポイ捨てしたとします。
ここで、タバコのポイ捨てがきっかけで火事になった事件を知っていれば、その行動が良くないことであると判断できますよね。
ただひたすら考えるテオリアと比べると、フロネーシスは実践的な徳ともいえます。
また倫理的徳は、日々良いことをしようとする習慣によって身につきます。
しかし、ただ良いことをするだけでは倫理的徳は身につけられません。
倫理的徳を身につける大事なポイントとして、メソテース(中庸)という考え方があります。
メソテースとは、極端なことをしないで中立的な判断をすることです。
例えば、「今日から毎日20時間勉強するぞ!!」っていうのは無謀ですよね。
かといって、「どうせ成績上がらないから、勉強しなくていいや」っていうのはもったいないです。
目標といまの成績を見据えて、適切な勉強時間を作るのが理想ですよね。
偏った行動をとらずに適切なことを積み重ねてゆく。
こうすることで、倫理的徳は築かれるのです。
幸福論
私たちが普段することには必ず目的があります。
友達と話したいから学校に行く。
お金が欲しいからバイトをする。
散歩がしたいから外に出る。
このように、毎日は手段ー目的の連続です。
ここでアリストテレスは、手段ー目的を繰り返せば必ず何かにたどり着くことに気がつきました。
マックのナゲットが食べたいアリストテレスを例にとります。
アリストテレス「マック行きたい」
→「なぜなら、ナゲットが食べたいから」
→「なぜなら、ナゲットを食べている時が幸せだから」
そう、最後には幸せにたどり着くのです。
アリストテレスは、何物の手段とならないこの幸せをエウダイモニア(幸福)と呼びました。
そしてこのエウダイモニアを最高善としました。
私たちは、この幸せを求めるために日々行動しているというわけです。
正義
プラトンが四元徳の最後に正義の徳を入れたように、アリストテレスも正義を特に重視していました。
アリストテレスの名言のなかで有名なのは、この言葉です。
「人間はポリス(社会)的動物である。」
つまり、私たち人間は集団の中で暮らし、互いに協力しながら生きていく動物である、ということです。
その上で、アリストテレスは私たちが社会の中で生きていくために必要なものを挙げました。
それは、正義とフィリア(友愛)です。
フィリア(友愛)は、文字通り「友達や家族など周りの人々を大切にする」という意味です。
しかし、正義については少し具体的な説明になります。
プラトンが四元徳の最後に正義の徳を入れたように、アリストテレスも正義を特に重視していました。
そこで、アリストテレスは正義を主に2つに分けました。
一つは、市民を生きるみんなに適用される全体的正義。
例えば、法律がこれにあたります。
しかし、全員に公平に適用される正義だけではうまく社会が機能しなくなります。
法律を守らない一部の人がいるからです。
そのような一部の人にだけ適用されるのが、部分的正義です。
例えば、コンビニで万引きを犯してしまった人には刑罰が下されます。
コンビニ側には補償が行われます。
このように損益が平等になるように調整する正義を調整的正義といいます。
逆に、市民の中には努力をして社会に貢献する人々もいます。
そのため彼らには報酬が支払われます。
このように、努力した分報酬が分配される正義を配分的正義といいます。

このように、アリストテレスは数々の偉大な業績を残しました。
そんな彼は、哲学者となったのちに家庭教師もおこなっていました。
彼が教えていた生徒の1人に、超有名になった少年がいます。
彼の名は、アレクサンドロス。
のちにマケドニアの王となり、前代未聞の広大な領土を築きました。
彼によって、分裂していた国々は統合され、一つの大きな国「マケドニア王国」が誕生しました。
そこでは、かつて交わることなかった文化が統合され、新たな思想が生まれました。
ということで、次回は「ヘレニズム思想」について紹介します。